シンプルに生きたいくせに、ロジカルシンキングには抵抗がある矛盾。7日目のごいし
今日は15時からこういちとご飯の予定。
その後ブログを書いて、バイト、で終わり。
「農業経済学や経営に興味はあるか」
「今遠隔で田んぼの水量調整を行える機械を作っているんだ」
「二人で飯食おうぜ」
そんなメッセージが前日届いた。
「なーんか珍しいやつから連絡来たなあ」
そんな感じ。
初めて二人で会う。
珍しいことなので、やや緊張している。
「へ~い!にこちゃーーん!!」
満面の笑みで店に入ってくる。
こういちにはにこちゃんと呼ばれている。
いつもの倍元気に感じて不思議に思った。
「俺やっとやりたいこと見つけたんだよ!!」
嬉々としてそう話すこういち。
「俺農業のためにものを作ろうと思うんだ!」
「社会課題のための研究がこれから増えるべき」
「今は工業が農業の上にある感じがする。農業のための工業という考え方がもっと必要。落合陽一も士農工商がどうとか言ってたね」
「何のためにやってるのか、何をしたいのかを二年前から自分に問い続けてきた。やっと見つかった。嬉しい。」
ちょーいい笑顔で語るこういち。
やりたいことが見つかったと言われると、ドキッとする。
嫌な意味で。
自分は何をしたいのか分からない。
やりたいことを見つけるには、色んなことを経験する必要があると思って、気になったこと事には手を出してきたつもり。
でもまだ見つかってない。
見つける気がないのかもしれない。
選択肢を一つに絞るのは怖いし、自分はすごく苦手な作業だと思う。
「にこちゃんは何してもいいって言われたら何したい?」
→「うーん、海外のいろんなところに行きたいかな。」
「どうして?」
→「見たことない景色を見てみたいんだよね。」
「何で?」
→「え、何でって、景色を見て感動したいからかな。」
「じゃあ最近いつ景色見て感動した?」
→「一年の時に白神山地に行って、その帰りに海で見た夕日が感動した。」
「じゃあそこ行けば良いんじゃない?はい、終わり~。」
→「え?いや、うーん、、、」
「もっと深く考えようよ。本質はなんだろうね。にこちゃんは何を大事にしてるんだろう。その時の状況を整理していくと見えるかもね。」
→「なるほど、、、」
「何のために生きたいか、自分の大事にしていることから紐解けると思うよ。」
→「うーん、、、なんかさ、何のために生きるかとか決めたくないんだよね。」
「あー、じゃあいいや。別に考えなくていいよ。俺は毎日成長したいし、刺激を求めちゃうから、何のために?を考えたいんだけど、別にそういう生き方もありだと思うよ。でも、こういう考えが出来る人が社会を作っていると思うんだよね。」
→「うん、ロジカルに考える必要性は分かるんよ。でも何か抵抗があるんよね。それと大学に入ってから自分の感情の無さに失望して、感情を大切にして生きてきたの。ロジカルに考えるのと感情に大事にするのって両立できない感じがして、、、」
「多分ね、にこちゃんと俺の言葉に対する認識が違うと思う。」
→「あーなるほど!それあるね。」
こんな会話をしていた。
ロジカル(論理的)というと、無機質で、冷たい、感情の無い感じがなぜかあった。
感情を置き去りにしたような、、、
でもこういち的には、感情もロジカルに考える際の要素の中に入っていて、恐らくそこで認識の差があったように思う。
また、前からシンプルに生きたいと思っていたのにもかかわらず、ロジカルに考えるのには抵抗があったという滑稽な状態だった。
笑うわ。
自分にはロジカルに考える癖があまりついていないし、抵抗もあったけど
これからは気持ちよく考えられると思う。
ありがとう、こういち。
↓元ツイです。あんま関係なさそう。
https://twitter.com/ochyai/status/932218664165695491